M&A交渉術(8) 期待値コントロール

仕事術
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M&Aアドバイザリーの仕事で活用できそうな交渉術を説明していこうという企画の第8回目の記事です。
今回は「期待値コントロール」について考えてみたいと思います。

期待値コントロールは交渉術の一種というよりは、長期的に成果を上げていくための仕事の基本かもしれませんが、交渉術の考え方のベースにもなっているように感じますので、ここで取り上げてみます。

なお「コントロール」という響きがいやらしく聞こえるかもしれませんが、実態としては、単に自分が得するように相手をコントロールするのではなく、相手と誠実にコミュニケーションをとって、意義のある合意をしていこうという考え方だと思っています。

さて、いきなりですが、仕事の評価というのはどのように決まるのでしょうか。

「良い」仕事をすれば評価されるように思われるかもしれませんが、物事はそう単純ではありません。

仕事は期待値からの振れ幅で評価される

JVの売却を例に考えてみる

たとえば、A社とB社が50:50で設立した合弁会社(ジョイントベンチャー)の売却を検討していて、それぞれ別のFAを起用し、各FAが対象会社の価値を

  • A社のFA=80億円
  • B社のFA=120億円

と報告していたとします。

結果的に、総株式価値で100億円での売却となった場合、それぞれのFAの評価はどうなるでしょうか?

おそらくは、A社のFAは褒められ、B社のFAは貶される可能性が高いでしょう(A社のFAは80億円の会社を100億円で売ってくれて感謝され、B社のFAは120億円の会社を100億円で売ったのかと怒られるというわけです)。

これは、A社とB社の双方がJVの株式を同じように低い簿価で認識していて、結果的にPLに計上される利益が同額、かつキャッシュインとしても同額だったとしても、褒められるFAと怒られるFAという構図は変わらないでしょう。

金額的な結果だけ見れば、どちらのFAも同じように良い仕事をしたはずなのに、片や褒められ片や怒られとなってしまうわけです。

良い結果だけでは足りないかもしれない

ある意味理不尽な話ですが、結局のところクライアントが重視するのは「利益計上」という事実はさておき、FAが当初の試算値よりも高く売ったかどうかだからのように思えます。

B社のFAは事前の評価額よりも低くしか売れなかったので、B社としては、

「もっと高く売れたはずのものをなぜ安売りしてしまったのか」

という無念の気持ちが拭えないからです。

ここで、もう少し一般化して述べてみれば、仕事に対する評価は次のように決まる傾向があるように感じます。

  • 仕事の結果 > 期待値 ⇒ 褒められる
  • 仕事の結果 = 期待値 ⇒ 当たり前だと思われる
  • 仕事の結果 < 期待値 ⇒ 怒られる

なので、先ほどの例でいえば、B社のFAは最終的に売れそうな金額よりも少し低めの試算値を報告するか、自分たちの報告値よりも高く売れるようにもっと頑張るべきだったといえます。

とはいえ、あまりにも期待値を下げすぎると仕事にならない

さきほどの期待値に関する一般化を曲解して、

「だったら、クライアントの期待値を思いっきり下げておいて、そこから交渉をしていけばどんな結果であっても褒められるだろう」

と考えるのは早とちりです。

たとえば、先ほどのJV売却の話でも、JVの価値を「30億円」と評価したのでは、

「そんなに低い評価しか出せない、すなわちそんなに低くしか売ってくれないFAなら起用しないでおこう」

となってしまい、そもそも仕事を頂けないからです。

同じように、上司からの仕事の指示に対して何も考えずに反射的になんでも「YES!」と答えるのもどうかと思いますが、常に

「できません/時間が掛かります/別件がありまして・・・」

とばかり答えていると、

「こいつには頼み辛いな」

と思われて案件チームに入れて貰えなくなるかもしれません。

期待値を適切にコントロールするためには

一般的に期待値を適切にコントロールするためには、次の2つのポイントに気をつけるべきといわれています。

1.安請け合いしない

まず何よりも重要なことは、安請け合いしないということです。

できないことをできると言うのは相手にも迷惑

ある依頼について、できないかもしれないと思っているにも関わらず、無理して請け負った結果、

「やはり無理でした!」

と謝るくらいならば、最初からそのような無理難題を受けない方が自分にとってのみならず、相手にとってもだいぶマシです。

といいますのも、相手の立場から考えてみても「コミットしてくれたのだからやってくれるだろう」と期待して待っているのに、「できませんでした!」というのでは、依頼をして待っていた時間と機会を無駄にされてしまうわけで、迷惑千万です。

できないことを頼まれたら、何ならできるのか逆提案すべき

なので、困難な依頼がなされた場合には、正直に

「その依頼については、この辺りまでならば達成できるかもしれませんが、それでも構いませんか?」

と確認しておくべきです。そうすると頼んでいる相手方としても

「それなら、そこまでで構いませんがこの点も追加できますか?」とか、「そうであれば今回は他の人に頼みます」

という具合に選択肢を持てるわけです。

特に苦手なことを頼まれた場合には

なお、特に、自分の苦手な分野の仕事の場合には、尚更安易に受けないように気をつけるべきです。

仮に、請け負う場合にも適切なチーム体制を構築してから請け負うべきでしょうし、自分では力不足だと感じるなら、責任を持って推薦できる他者にお願いすべきなのかもしれません。

2.現実的なゴールを合意しておく

安請け合いをしないこととあわせて大事なことは「現実的なゴールを合意する」ということです。

これは、先ほど安請け合いをしないために、できないことを頼まれた場合には「逆提案をすべき」と説明した部分にも通じることですが、仕事を頼まれた場合には相手が仕事の成果として何を期待しているのかを正確に把握し、それについて合意しておく必要があります。

たとえば株式譲渡の売手のFAであるとして

M&Aの交渉であれば、たとえば株式譲渡の売手FAの場合、

  • 金額
  • 契約条件

のそれぞれについて、Want条件とMUST条件をクライアントと交渉の前に確認しておくべきです。

たとえば、金額について、

「100億円で売れれば嬉しいが(Want条件)、最悪でも60億円のラインは守りたい(MUST条件)」

とか

契約条件について、

「従業員の雇用維持期間は最低でも5年必要だが(MUST条件)、役員体制は常勤役員について1年間くらい維持できれば良いかな(Want条件)」

という具合に、細かいところまで含めて、何を譲って何を譲ってはいけないのかを、相手方との交渉の前にしっかりと膝詰めで話し合っておくべきです。

また、その事前の話し合いの際に、

「これは、相手にとってもハイボール過ぎる」

と感じる内容については、

「その条件はかなり厳しいので、現実的には●●辺りまで妥協する必要があるかもしれませんが、よろしいですか?」

と確認しておくべきでしょう。

積極的な意味での期待値コントロールという側面

現実的なゴールを合意すると言うことは、自分と相手の双方にとって「現実的」かつ自分ができるとコミットできる内容としてゴールを設定すべきということです。

そういう意味では安請け合いをしないというのはネガティブな意味(相手の依頼をガードするという意味)での期待値コントロールの側面であり、現実的なゴールを合意するというのはポジティブな意味(積極的に相手と関わっていき、できることを合意するという意味)での期待値コントロールであるため、これらは期待値コントロールの両輪といえるのかもしれません。

さいごに

交渉術という側面では、相手の期待値をギリギリまで下げて、それを上回る成果を出すとか、相手の期待値をギリギリまで下げるために、敢えてかなりのハイボールを投げるとかいう方法の背景に期待値コントロールの考え方があるように思います。

悪用は厳禁ですが、現実問題として、長期的にクライアントと良い関係を築くためには、一定程度の期待値コントロールは必要だろうなと感じるところです。

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