よく、世の中は答えのある仕事とない仕事があるなんて言われます。
ここでいう仕事というのは「職業」と捉えるよりもより下位の「業務」と捉えた方がしっくりきます。
たとえばFAの仕事もインサイダー取引規制の遵守は答えのある業務ですが、どのようなスキームで買収を進めるかにはベターな解はあるかもしれませんが唯一絶対の正解はないケースがほとんどです。
ゆえに、自分の仕事に答えがあるかにこだわるよりも、いま直面している業務に正解が存在するかどうかを都度考えるというスタンスが大事なのではないでしょうか。
さて、今週は、
です。
事例的にはTOBの公表と決算発表は同日のケースが多い印象ですが、その背景にはどんな理由が隠されているのでしょうか。
(いつもの先輩・後輩の対話で進めていきます。文頭のマークが◆◆→先輩、◎→後輩 です。)
【M&A講座】TOB公表日は決算発表日の前・同日・後のいずれが望ましい?
TOBスケジュールを検討する後輩であるが
◎先輩、こんにちは。いまTOB案件を担当しているんですが、TOB公表日をいつにするかを含めてスケジュール案を考えておりまして。
◆◆今回はTOBなんだね。
◎そうなんです。TOBの公表は一般的には決算発表と同日ということが多いみたいですけれども、なぜなんでしょう? 選択肢という意味では、決算発表の前や後でも良いのではないかという気もするのですが。
◆◆まず基本的に決算発表の手前(直前)は避けるべきだよね。
◎直感的にはそういう気がしますが具体的になぜなのか問われると・・・。
◆◆より具体的に言えば、インサイダー情報(重要事実)管理の観点、TOB価格の算定の基礎、訂正届出書の回避といった観点で決算発表の手前は避けた方が望ましいね、あとで順を追って説明するけども。
◎ぜひぜひです。
◆◆次に、決算発表と同日にすべきかその後にすべきかというのは画一的な指針があるわけではないんだけれども、印象論では決算発表と同時のケースの方が優勢かな。
◎ふうむ、そうなんですか。
決算発表の手前(直前)を避けるべき理由
インサイダー情報管理の観点
◆◆まず、TOBの買付者は対象者に係る重要事実(インサイダー情報:金商法166条2項)を保持していてはならないよね。
◎なんとなく聞いたことはあります。DDで未公表の発見事項があった場合、それを公表してからTOBを開始すべきという感じでしたよね。
◆◆そうそう。インターネット上の文献を探してみたところ、アンダーソン・毛利・友常法律事務所(AMT)のNews Letterに説明がなされていたから抜粋してみるね。
【法 166 条関連】公開買付けの準備開始以降、通常、対象会社との接触が恒常的に行われますが (典型的には対象会社に対する各種デュー・ディリジェンス、公開買付けのスキームに関するディスカッション、対象会社との間での公開買付けの賛同に関する契約、 経営統合契約、資本業務提携契約の交渉等)、その過程で、未公表の対象会社の業務等に関する重要事実を認識することがあり、その場合には、法 166 条のインサイダー取引規制の適用の可能性も生じます。法 166 条のインサイダー取引規制は、公開買付者にも適用がありますので、公開買付者自身も対象会社の株券等を取得することが原則として禁止されることとなります(公開買付けによる取得であっても、法 166 条に係るインサイダー取引規制の適用があるため、未公表の業務等に関する重要事実を認識した上で公開買付けを開始し、株券等の取得をすることはできません。)。よって、実務上は、公開買付けの公表のタイミングで、対象会社に対して未公表の業務等に関する重要事実を全て公表してもらうよう働きかけることが通常です。
別注:公開買付けによる株券等の取得は、公開買付けが成立していることを条件とするため、たとえ対象会社の株主からの応募がなされ公開買付けに係る契約が成立していたとしても(法 27 条の 11 第 1 項参照)、公開買付けの成立(すなわち公開買付期間の最終日)までに重要事実を公表すればよいという考え方は、インサイダー取引規制における「買付け等」の解釈(停止条件付売買であるという理由でもって、「買付け等」に該当しないということには直ちにならない)と整合しないため、公開買付けの公表日までに公表を行う方法が実務上採用されます。
(出所:M&A News Letter(2021/2) 公開買付けに関する諸論点④-公開買付けとインサイダー取引規制- アンダーソン・毛利・友常法律事務所(P.4より抜粋)、アンダーラインは当ブログの解釈)
◎これはわかりやすいですね。要は、TOBを決算発表直前から開始することは、未公表の決算情報等の重要事実を知ったままTOBを始めることになって危ないってことでしょうか。
◆◆そうなんだよ。ちなみに、すごくどうでもいい話になるんだけど、理論的には公開買付届出書の「対象者の状況のその他の欄」にその未公表の重要事実を記載するっていう方法もあり得るという解釈も成り立つらしいけど、実務上は対象者が公表していない重要事実を他人である買付者が届出書に記載することでもって「公表」するなんてのはあり得ないからねえ。
TOB価格の算定の基礎の観点
◆◆次にTOB価格の算定の基礎の観点だけども、決算発表よりも前にTOBを開始する場合、TOB価格算定の基礎には(相応の可能性で)未公表の決算発表の情報を織り込んでいるはずだよね。
◎DCF法の計画初年度(今期着地)の数値だったり、類似会社比較法の今期予想に基づく数値ですよね。
◆◆うん、それらの前提を株価算定人は参照しているのに、それを未公表としたままTOB価格を決定し(買付者)、意見表明をする(対象者)ことが公正なのかというと疑問が残るよね。
◎たしかに。仮に算定人が未公表の決算の数値を参照して”いない”場合だったらどうなんでしょう?
◆◆そういうケースはあまり考えにくいけれども、決算発表がなされた時点で「直近決算が織り込まれていない古い情報」に基づいた株価算定の基礎を洗替える必要があるのではという論点が発生しそうだよね。
◎なるほど、いずれにせよこの点も綺麗には着地できそうにないですね。
訂正届出書の提出回避の観点
◆◆最後に、決算発表の内容は公開買付届出書の訂正事由になり得るから、その訂正届出書の提出が必要になるよね。
◎それが煩雑ってことですね。
◆◆そうそう。わざわざやることを増やすことはないよねという話。
◎わかります。
◆◆まとめると、これらの3つの観点から決算発表の直前にTOBを開始することは避けるべきで、どんな証券会社の公開買付代理人チームもその点では一致すると思うよ。
TOB開始を決算発表と同日にすべきか後日にすべきか
◎TOBを決算発表直前に始めるべきではないという点はよくわかりましたが、同日 or 後日の観点はどうでしょうか?
◆◆それは、
- 決算発表の結果として株価が上がりそうか下がりそうか
- その株価の動きを織り込んだ上でTOBを公表すべきか
という点をよく検討する必要があるよね。
決算発表で株価が動くか?
◎株価は過去の決算ではなくて将来の業績を期待して値付けされるという点で決算発表は関係なさそうに感じるのですが。
◆◆そういう見方もあるかもだけど、市場が織り込んでいなかったサプライズ決算だったりすると株価は動くよね。
◎大赤字を公表した大手企業の決算発表の翌日に「XXXショック」として株価が爆下がりするみたいなやつですね。
◆◆うん。さらに決算発表では業績予想の発表・修正がなされるよね。
◎たしかに、業績予想が発表・更新されるという点は将来の業績期待の変動が起こり得るため株価も動きそうですね。
決算発表後の株価推移を織り込むべきか
◆◆TOB公表を決算発表より後日に設定した場合、決算発表により株価が上がってしまうと事前に想定していたTOBプレミアムよりも低いプレミアムしか付けられなくなるというおそれが出てくるよね。
◎なるほど。逆に決算発表によって株価が下がってしまった場合、買付者的にはそんなこと思っていなかったとしても、
という風評問題が勃発するかもってことですね。
◆◆MBOで悪材料を先んじて公表して株価を下げ、下がった株価でTOBを始めるなんていうのが典型的なまずいケースだよね。
◎そんな話もありましたね。その辺りを考えると良い決算ならTOBをいくばくか後ろ倒しで始めるべきで、悪い決算ならTOBを同日公表すべきってことでしょうか?
◆◆そうは単純な話じゃないんだよ。会社が良い決算だと思って発表しても株価が下がることもあるし、会社が最悪の決算だと思って発表しても市場としては想定よりは良かったとして株価が上がることもあるから。
◎なるほど。さらに市場全体の動きにも左右されそうともいえそうです。
◆◆そうだね。いずれにせよ、決算発表と同日にするかいくばくかの期間をあけた後日にするのかは案件ごとに慎重に検討する必要があるところだね。
◎対象者が「この決算を発表すれば株価は上がるに違いない」と思っている場合には決算発表ど同時を回避して後日公表にしようとするインセンティブが働きがちなきがしますが。
◆◆そうかもしれないけれども、個人的には特段の事情がない限りは決算発表と同時にTOBを公表しておいた方が、論点は少なくなるという考え方が主流になっている気がするなあ。
その他のポイント
◆◆最後におまけ的にポイントを付け加えておくと、
- TOB期間中に定時株主総会が開催されるスケジュールは避ける
- 定時株主総会終了後速やかにTOBを公表することも避ける
- TOB終了日付近に決算発表日が来てしまう場合、訂正届出書の提出事由に該当して、TOB期間を残り10営業日確保する必要が出てくる
- TOB期間中に買付者が対象者の未公表の重要事実(業績予想の修正等)を認識してしまった場合は、インサイダー取引規制の観点でも直ちに買付ができなくなるわけではないものの、実務上は迅速に対象者からその重要事実を公表してもらい、公開買付届出書の訂正対応もすべきである
ということも覚えておいてね。
(参考記事)
◎はい、1〜3のポイントはわかります。ただ、4つ目のTOB期間中にインサイダー情報を入手した場合のポイントがいまいちピンと来ないのですが。
◆◆この点は先ほどのAMTのNews LetterのP.5に記載があるからこちらも抜粋しておくよ。
【法 166 条関連】 公開買付けの開始以降、公開買付者は、対象会社に関する業務等に関する未公表の重要事実を認識する場合があります(典型的には、対象会社の業績予想の修正)。このような場合であっても、当該重要事実を知る前に公開買付開始公告を行った公開買付けの計画に基づく対象会社の株式の取得は、インサイダー取引規制の適用除外(いわゆる知る前計画。法 166 条 6 項 12 号、有価証券の取引等の規制に関する内閣府令(「取引規制府令」)59 条 1 項 10 号)となるため、対象会社による重要事実の公表の有無を問わず、これを行うことが可能とされています。もっとも、未公表の重要事実を認識した後に、公開買付けに係る条件を変更した場合には、当該変更後の公開買付けに基づく株式の取得については知る前計画の適用除外とはならないとする見解もある点には留意する必要があります。なお、実務上は、知る前計画の適用の有無にかかわらず、対象会社の業務等に関する未公表の重要事実が発生した場合には、対象会社 においてプレスリリースにて公表の上、公開買付者においても公開買付届出書の訂正届出書を提出し、当該内容を公表することが検討されます(通常、公開買付届出書の「第 5 対象者の状況」の「6 その他」の欄に記載されます。)。
◎承知しました、これも覚えておきます。
さいごに
今回はTOBに限って考えてみましたが、TOBではない組織再編行為(合併、株式交換、株式移転)であっても基本的な考え方は変わらないので、組織再編についても決算発表日と同日かその後に公表という実務が基本だと考えております。